“真実の愛”を巡る旅その2ー『アナと雪の女王』

 

ディズニーのプリンセス映画は『美女と野獣』以降、「美しい女性が王子にみそめられて、危機から救ってもらいゴールイン!めでたしめでたし」という「お嫁さん街道まっしぐら」から外れた姫像が主流であるけれど、その度に新しいジェンダー観や主題を打ち出してくるからやっぱりディズニープリンセスものは最高!子供も大人も手に汗にぎって、口をぽかんとあけたり、むうと唸ったり、けらけら笑ったりしたあと最後にじーんとして、さらに映画館をでたら「これはあの象徴かもうんぬん」と得意げに話したりできる。この映画も、ちまたでは「同性愛を隠喩している」とか言われているし、確かに思い当たる節もあるし、そういう観点からみるのも十分面白いと思うのだけれど、それだけじゃないよなーなんて思う。

 公開当時「母の束縛から自立する娘の話」と評された、前作『塔の上のラプンツェル』の主人公ラプンツェルには「癒しと若返り」という特別な能力があった。わたしはこの作品もとても楽しんで観たのだけれど、なんとなく物語の終わり方に納得できなかったのを覚えている。「元盗人とはいえ姫は愛するひとと結婚し、王国にも戻れて幸せです!結婚相手のステータスとか関係ないよねー」というハッピーエンディングが嫌だったわけではなくて、「特殊能力の源であるラプンツェルの髪の毛が恋人の手によって切られてしまう」というのが「多くのひとを救うことができる能力を恋人によって奪われ、彼のためにのみ使われる」ともとれてしまうんじゃないかと思ったのだった。それでも結婚して幸せ満々って!ラプンツェル!と。その点、この『アナと雪の女王』のエルサは最後まで魔法の力を失わない。それが時に人に怖れを与えるものであっても。アナは姉エルサの魔法の力を知る前も知ったあとも彼女の心のドアをノックしつづける。エルサが「触れないで、あなたを傷つけるから」と言ってそのドアを閉ざし続けていてもだ。アナを想うからこそ離れていようとするエルサとエルサを想うからこそ寄り添おうとするアナの姿に、観客は引き裂かれそうになる。そしてラスト、ありのままのエルサを思うアナに彼女は救われ、彼女もまたアナを救う。ここでまた前回の記事で引用した文章を載せたい。

「愛する」ということは「相手を認める」ことです。つまり相手が存在していることを、心から「いい」と受け止めることです。あなた自身の損得勘定とは関係なしに。ただ、それだけです。

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 同時上映の短編アニメ『ミッキーのミニー救出大作戦』も、”モノクロアニメの世界”と”それを上映している劇場”という虚構と現実をミッキーたちが行ったり来たりするメタフィクションで、話の筋としてはシンプルだけれど、良い作品だったと思う。同じディズニー映画で「虚構と現実を行ったり来たり」だと2007年公開の『魔法にかけられて』が思い出されるが、あの映画もアニメーションで”あっち(=おとぎ話)の世界”を、実写で”こっち(=現実)の世界”を描き分けていて斬新だったし、過去のディズニープリンセスオマージュはふんだんに取り込まれているし、物語としても「女性の生き方の多様性とその選択」が描かれていて素晴らしい作品だったと思う。

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