『ウォールフラワー』

※ネタバレありです※

 「ひととひとが出会うと物語がうまれる」という、よくある当たり前の真実が、わたしはとても好きだ。だからレオス・カラックス監督作の『ボーイ・ミーツ・ガール』は、この世に数多ある映画タイトルのなかでも完璧なもののひとつだと思う。シンプルなのに、物語喚起力がある。けれど実際の人生では、この「よくある当たり前の真実」のほとんどはドラマチックでもロマンチックでもない退屈な物語だ。だからこそ、時々訪れる「人生を変える出会い」ってものに人は焦がれる。原作者スティーブン・シュボースキー自らが監督・脚本をつとめた『ウォールフラワー』は、まさにそんな「ひととひとが出会うと物語がうまれる」ことを描いた映画だ。しかもとびっきりドラマチックに。


 体育会系でもないしオタクでもない、ガリ勉でもなければ不良でもない、つまり自身をカテゴライズする言葉をもたない者たち=“ハミダシ者”のアメリカンハイスクールものの傑作といえば、思い出すのは『ゴーストワールド』や『ローラーガールズダイアリー』だ。高校生の主人公たちは口だけは達者だったりするけれど、総じて自分に自信がなく、親や友達等自身をとりまく環境に不満をもっている。そしてとにかく“クール”なものに憧れている。そんな彼らが歳上のほんもののハミダシ者たちと出会うことで物語は動き出す。『ウォールフラワー』の主人公チャーリーにとって、友達ゼロの高校生活は監獄みたいなものだ。けれどそれも、歳上の変わり者で最高にクールなサムとパトリック、そして国語教師のジムとの出会いで変わってゆく。今まで聴いたことのない音楽、刺激的な会話、数々の古典文学、美しいひとへの片思いと初めての恋人。そして彼は自身の奥深くに眠っている大きなトラウマと向き合うことになる。


 この作品が素晴らしいのは、チャーリー自身の変化と物語だけが描かれているのではないところだと思う。彼がサムやパトリックと出会い変わったように、彼らもチャーリーとの出会いで変わってゆく。自分以外の物語の目撃者になることで、チャーリーはさらに変化してゆく。チャーリーが心寄せるサムが、違う相手に苦しい恋をしているのをみている一方で、チャーリーも彼に心を寄せるメアリーエリザベスを苦しませてしまう。また、パトリックと彼の恋人のむごい離別の一部始終も知る。彼が恩師のジムにたずねる「ひとはどうしてひどい相手を恋人に選ぶのか?」という問いに、ジムは「自分に見合うと思うから。」と答える。チャーリーがサムを“憧れのひと”とみなくなったとき、彼らははじめて恋人として心を通わせることになる。またジムも、チャーリーという教え子と出会うことで人生のひとつの転換を迎えたと言える。かつて脚本家として活躍したこともあるジムは、再びNYでやり直すことを考えているが、文才のあるチャーリーに指導をしているうちに「自分には教えることがむいている」と教員を続けることを決断するのだ。


 『青春の、ある一瞬は永久だ』という、よくある当たり前の真実も、わたしは好きだ。それはとてもドラマチックだから。『ウォールフラワー』のあっさり描かれているけれどじっくり考えるべきモチーフと、彼らの心情を代弁する最高にクールなミュージックトラックと、エズラ・ミラーの麗しさと、エマ・ワトソンの剥きだしの肩。「この映画にすべてがあります!」と叫んで、わたしは師走の街を駆け回りたい。



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そういえば、"This is a story of Boy Meets Girl."のナレーションで始まる『(500)日のサマー』は、主人公の男の子が可愛い女の子に「わたしもスミス大好き!趣味いいね!」と言われて恋に落ちる映画だったけれど、『ウォールフラワー』も主人公が可愛い女の子に『わたしもスミス大好き!趣味いいね!』と全く同じように言われて、やっぱり恋に落ちる映画なのでした!The Smithというのはつまりそういうバンドなのだ。

Requiem for Innocence

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