Dr.パルナサスの鏡

テリー・ギリアム監督作。
パルナサスの娘役にはトップモデルでケンブリッヂ大学に通うリリー・コール
『BOY A』で主役をつとめたアンドリュー・ガーフィールドも出演。
個人的に思い入れのある御三方が関わる作品ということでみてまいりました。


全体的には、やっぱりなにがなんだかよくわかりませんでした。
テリー・ギリアムの作品はいつもけっきょくなにがなんだかわからない。
彼の頭の中、想像をそのままみせられているような気になる。
けれど、ひとりよがりな作品というわけではなくて、そこには一貫した思いがこめられているかの様に感じる。
人間の想像力だとか、物語を語ることへの思い入れ。
今作もその思いが一貫して主張されており、パルナサスの「物語を語ることをやめたならば、世界は終わりを迎えてしまう」という台詞がそれを端的に表していている。
私も、彼が言うように人々が物語を語ることをやめたら、世界は終わりを迎えると思う。人間はこのわけのわからない世界を、物語ることで秩序づけるからだ。
しかしパルナサスやその周りの僧が悪魔に口を封じさせられ物語れなくなったたとき、世界は終わらなかった。
物語は、パルナサスだけでなく世界中の人々によって語られているからだ。
だから、例え権力者が統治下の人々の口を封じたとしても、世界中の人々の口を封じることはできない。物語は永遠に語られ続ける。


物語と人間の想像力は必ずしもよいように使われるわけではなく、ときには悪い者に利用もされる。
テリー・ギリアムはその危険さもよく知っているのだろう、トニーという物語師(詐欺師)をこの作品に登場させる。
彼は貧困にあえぐ子供をすくう慈善活動をしていると言うが、現実には子供たちの臓器を売って金をもうけた罪がある。しかし彼は一貫して自分を慈悲深い献身者だと言い続け、周囲の者を騙し、欺く。
彼のいうことが嘘なのか、まことなのか、それは物語の作者によってきっと代わってしまう。
ある者とある者では世界のとらえかたが異なるからだ。他人の語る物語に耳を傾けることは、だから危険でもある。かといって、自分の物語だけに耳を傾けるのも恐ろしい。物語は無数に存在するのに、ひとつの物語しかしらないなんて。


リリー・コールはモデルで、そして女優でした。