いつか名もなきひとになる

2012年1月22日、祖父が亡くなった。
今年を振り返るとき、まずはじめに思い出すのはそのことだ。

田舎の質屋の三男坊として生まれた祖父は、人生の大半を百姓として過ごした。
世界大戦で兄ふたりは戦死し、質屋の財産もほぼすべて失われたからだ。
祖父は、兄の戦友の妹である祖母と結婚し、子供ふたりを育てながら、障害のある自分の弟の面倒もみてきた。
派手さや贅沢を嫌う、質素で真面目なひとだった。


母から祖父死去の知らせが入った翌日、わたしは参列のため地元に帰った。
わたしはそれまで、人が亡くなり灰になるまでの過程をみたことがなかった。
祖父の家につくと、叔父に「じいちゃんに挨拶してあげて」とまっさきに声をかけられた。
彼に導かれて、いつも祖父がテレビをみていた掘りごたつの部屋の隣部屋にいった。
中に入った瞬間、突然空気が「しん」としたのを感じた。
部屋の中央に、白装束を身につけ、固く目をとじた納棺前の「祖父」がいた。
けれどそれはわたしの知っている祖父ではなかった。
動きもしない、しゃべりもしない、「名もなきひと」だった。
わたしはそれに少し戸惑いながら、焼香をし、弱々しく鈴をならした。


それまでのわたしにとって「死」とはある意味、「軟質なもの」だった。
それは捉え方によっては、安らぎであり甘美なものであった。
しかし実際の「死」はただひたすらに「硬質なもの」だった。
それまで動いていた身体機能が停止すること。それまで流れていた思考や感情が停止すること。
そして永遠にそのままであること。
動かしがたい事実が、祖父の亡骸としてわたしの目の前に提示された瞬間だった。


納棺の際「ご遺族で身体をふいてください」と言われても、恥ずかしいことにわたしは「祖父」に触れることができなかった。
祖父が冷たい遺体となっているのを感じるのが恐ろしかったからだ。
祖父が亡くなった悲しみより、「死」を目の前にした恐ろしさと戸惑いのほうが上回っていた。
しかし棺に故人の思い出の品をいれる段になった途端、祖父の死を俯瞰することができなくなった。
思い出の品が「名もなきひと」であった「祖父」を、私のよく知っている祖父に引き戻したのだった。


それから祖父が灰になるまで、わたしは泣いたり泣き止んだりを繰り返すこととなった。
灰になると、不思議とまた心は落ち着いた。
硬質な「死」は「不在を表す存在」となり、そしてただの「不在」が残った。


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例えば死体が腐敗もせずそのままの形でゴロゴロしていたら、
これだけ死に対して感傷的だったり、ファンタジックな幻想が世にあふれているんだろうか。
死体が腐敗したり、灰となるからこそ、ひとはそれを軟質なものにしたてあげることができるんじゃないか。