風たちぬ

「風たちぬ。いざ生きやめも。」
 

 25歳になった。完全に護られて安全だった母の子宮内から、産道を通り、頭・胴・足の順でこのわけのわからない世界に、まぬけな裸としわくちゃな顔で出てきてから、どうやら4半世紀経つらしい。数年前まで、自分の生の時間を”世紀”なんて大それた言葉であらわすことのできる日がくるなんて思ってもいなかった。”世紀”という言葉につながったら、それはもうほぼ歴史で、ただ泣いて不快なこと(おなかがすいた、あつい、おしめがぬれていやだ)を伝えることしかできなかった赤ん坊も、こうやってキーボードを叩いて文章をかけるまでになる。こうして考えるとまるで進歩ばかりが人生のようだけれど、実際はまるでそうではなく、これまでが調子がよかったに過ぎないのだと思う。スタートダッシュはいつまでも続けられない。現に1年前のわたしから、今のわたしはどこがどう進歩しただろうか?具体的なことといえばビールが美味しく飲めるようになったことくらいしか思い浮かばない。あとは悲しいかな、「人間性のあわない人ともなんとかうまくやれるようになった」だとか「考えが広がった」だとか、うすぼんやりした精神論だけだ。

 わたしが社会人になったのは東北地方太平洋沖地震の直後だった。就職先は、震災後の対応に追われていて新人教育どころではなかった。ただでさえ少ない研修期間(5日間)がわたしたちの代はたったの3日間しか与えられなかった。けれどそもそも平常時を知らないので、こんなものなんだろうと思って仕事をした。毎日「いつかやめてやる」と思ったし、仕事中にトイレの個室で泣いたりしたこともあったけれど、「今がいちばんサイアクだからこれ以上わるくなることはない」という救いが当時のわたしにはあった。一方で世間のムードも、なんだかそれに少し似ていた。原発事故への不安はあったものの、震災後の日本はひたすら「前に進むしかない」といった感じだった。非常時の備えや家族との連絡手段の確認の重要性が説かれ、希薄になったと嘆かれている「助け合い」を多く目撃し、人々は心動かされたりした。終わりなき日常が終わったのが、2011年春だった。



 スタジオジブリ最新作『風立ちぬ』の題名は、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節からとったものだという。そうしようと思えばいくらでもこの作品を様々な角度から観ることは可能であることも重々承知だけれど、わたしはこの作品をどうしたってやっぱり震災と原発事故を絡めずには観ることができなかった。それ以前に着手されているにしても、”暴走するテクノロジー”を絶えずその物語に登場させてきた宮崎駿が3.11を経て放つ新作だもの。
 関東大震災、世界大戦と激動の時代を生きているにもかかわらず、一見主人公の次郎はその過酷さとは無縁のようにみえる。物語のはじめに起こる大震災でも、次郎はほとんどなんの動揺もなく乗っていた汽車をおりたまたま居合せた怪我をした女性をおぶって避難をして応援をよぶと、自身はすぐに学校へとむかう。その姿はあまりに飄々としていすぎていて、歴史に残る震災をたった今体験したひととはとても思えなかったりする。大戦に兵器として利用される飛行機を設計していても、ふつうの気の弱い人間ならまず感じそうな良心の呵責なんてまるでないようにみえる。思うような飛行機をつくることができないということで浮き沈みはあるものの、次郎の心は常に設計図のうえで翼をひろげ、飛行テストをする機体をみつめ、ひたすら時代の上空を飛んでいる。彼には終わるべき日常も、それを終わらせる非日常もない。


 仕事の内容は毎月だいたい同じで、毎日顔を合わせるのも同じひとで、大きな不満もとくになく、辞めてやるという意思すらわいてこない社会人3年目。震災後、定期的に確認していた非常用のリュックサックの携帯用食品は、コンビニにすら行く気力のない日々の空腹しのぎのために枯渇しつつあるし、どこになにが入っているのかさえもう覚えていない。世間の節電モードは猛暑のせいでなりを潜めている。わたしが生きる、ファンタジーじゃない世界では、日常を終わらせた非日常もいつか日常になると決まっている。それでも生き残ったものは、生き続けなければならない。風が吹くかぎり。